HDDレコーダーの中を消費

暑さと冷房にやられてだらだらと過ごしました。


バッファロー'66」
いやもうなんっつーか、これが支持されて、エロゲが支持されないのはおかしいだろというくらいファンタジーに満ち溢れた作品。
ストックホルムシンドロームかヤクザの手口か、ヒロインは実は聖母マリア
主人公のビリーの第一印象は汚物に触れるようで、鑑賞後の印象は生物標本展に陳列されたゴキブリ(まぁぎりぎり許せるレベルという意味)か。
構造的にはビリーはツンデレ系(ぉ、のキャラで、家族のどうしようもなさが彼を形作り、それが彼を損なったという事実。
それを知ることで彼を知ったヒロインとの世界は”不可逆的”(C)sense off、に進むわけですよ。
それでも別の視点からみれば、これが性格は最悪・最低でも、見てくればよければ女は好きになってくれるという未も蓋もない現実に……。
(ギャロ演じるビリーはすくなくともお腹は出てないし、ボウリングはプロ並だし、顔もまぁ悪くはない)
個人的には、これを切なく奇妙な恋愛物とほめている奴にエロゲとかオタ作品を貶す資格はないね、と思う。
最初の一文通り。
おまえらは(世の中のいろいろむかつく奴に向かって)、この作品を見たら「ギャロきもー、うぜー」と言うようにってこった。



千年女優
うーん、個人的には、それで? という感じで終わってしまった気がする作品。
絵はいいし、現在の登場人物が回想に出てくる演出も面白い。
現実と映画のストーリーの混濁もなかなか。
だけど最後がファウストで、開けるべき錠もなく、宇宙(そら)に旅立つラストシーン(memoriesの宇宙船の女優へのオマージュ?)ってのは、いったいどうなのさ、と思ってしまう。
で、さて、この作品で何がいいたいのかなぁとつらつら考えてみると、古きよき時代、まだ女優が女優でいられた、そして最後の女優というのを描きたかっただけなのかと。
幻想を追いかけ続ける千代子、そして追いかけ続けることで光り輝いていた千代子。
本当の幸せの鍵は、幻想に追いつくことではなく、追いかけ続けることにあるとして死んだ千代子。
──というのが一般的な正解だろうけど、教科書すぎるし幻想性も無くなってしまうので却下して、むしろアニメで銀幕の女優を描くことに意義があったんじゃないかな、とする。
だって呪いとか千年とか、あの人は老いない、とかSFっぽい仕掛けをちりばめつつラストが道徳の教科書では、そりゃだまされたと思うわけで。
それと、戦国の世からなら600年ちょいじゃないか!(ぉ 1000年は看板にい(ry。