ネズミーランド

「ウィラード」
監督は一度できあがった映画を最初から最後までとおして観るべきじゃないのかなぁと、最近思う不満が。
というのも、この映画、細部のつくりまでしっかり作られているのに肝心のシナリオがいくつか中途半端なのだ。
最初からホラーとしてではなく、いわゆる半社会生活不適合者であるウィラードとネズミの心温まる交流と破滅を楽しみにしていた自分としては、世間的にすぐ引き合いにだされる「ティム(・バートン)に撮らせろよ」と愚痴ってしまうわけで。
聖域ともいえる家の中ではウィラードと二匹のねずみ──ソクラテス(溺愛)とベン(憎悪)の確執があり、外の世界ではウィラードと二人の人間──いまや会社を乗っ取ろうとする、亡き父の共同経営者(敵)と自分に好意を寄せてくれる女性(味方)の話が進行する。
そこまで物語を広げておきながら、上であげている対立的な構造を無視して話は単にねずみの暴走で決着する。
すべてが収まるところに行かず、投げっぱなし感が強い。
その最たる例が、好意を寄せてくれる女性の扱いだ。
何もハリウッド的ラブストーリーのように女性のおかげでねずみ好きをやめて、まっとうな恋愛ができる大人になりました、ってエンディングにしろと言っているわけじゃない(あれ、電車男ってそういう構造か?)。
彼女がウィラードにくれたねこの行方を観客以外誰も気にかけない。
彼女はいろいろとウィラードにおせっかいを焼くのに、ウィラードは彼女に対してなにも思わない。
結果、彼女は物語上、何のために出てきたかわからないキャラになりさがっている。
いや共同経営者(敵)でさえ、最後の最期においては何のために死んだのかわからなくなってしまっている。
突き詰めて言えば、ソクラテスへの傾倒もベンへの反発もなぜそこまで? と疑問を抱かせる。
愛も憎悪もからまわりしている。
ウィラードのキャラクターや映像がよかっただけに、このシナリオの詰めの甘さはかなり残念でした。